9月の日本地理学会と、10月のGIS学会が終わったので、そのときの写真を追加した。
写真ページもそろそろ整理しないと、写真がちょっと増えてきた。
9月の日本地理学会と、10月のGIS学会が終わったので、そのときの写真を追加した。
写真ページもそろそろ整理しないと、写真がちょっと増えてきた。
researchmapに登録した。資料をアップできたり、記事を投稿できたりもするので、研究成果の発信には便利そうだ。しかし、今のところ地理学関係者は10数人程度。登録者のうち、神経科学と情報学分野の研究者がそれぞれ15%を占めているらしい。情報学はわかるけれど、神経科学が多いのは何故だろう。
researchmapのページはこちら
戦災都市での人口変化の研究に関連して、明日から英国とドイツに調査兼旅行。旅費は自己費用なので、半分以上は旅行で、数日調査の予定。ドイツは初めてだ。
出発は中部からなので、今日はセントレアに宿泊。昼間に豊田市美術館に行って、フェルメールの「地理学者」を見てきた。美術館から駅までに乗ったタクシーで、運転手さんが今日から仕事始めで帰省の車が少ない、と言ったので不思議に思ったら、トヨタの休みの曜日が変わっていたことに気づいた。トヨタの影響が大きいことを実感。
さて、英国とドイツで何か面白い資料は見つかるだろうか。行っている間に日本地理学会の準備もしないと。
大学の設備点検のための停電と、ネットワーク機器の更新の関係で、8月12日(金)の夕方から、8月18日(木)の午前まで、このサイトおよび、MMM等のあるサーバ(www.rgis.lt.ritsumei.ac.jp)が停止します。また、バーチャル京都のサーバ(www.geo.lt.ritsumei.ac.jp)も同様に停止します。
MMMのデータを2011年10月1日まで対応できるように更新。
先日、ナカニシヤ出版より『京都の歴史GIS』(矢野桂司・中谷友樹・河角龍典・田中覚編)が出版されました。
この本は、日本文化デジタル・ヒューマニティーズに関するシリーズとしてナカニシヤ出版から刊行されていて、『京都の歴史GIS』は3冊目になります。このシリーズは、すべてバイリンガル版となっていて、前半が日本語、後半がそれに対応する英語となっています。
僕の担当箇所は6章の「京都市における社会地区分析―1911年~1965年―」で、その英訳版の16章も書いています。
東北関東大震災の影響があったり、3月末に出る本の校正作業があったりして、ちょっと忙しくしていたら、大阪市のウェブサイトに、平成22年(2010年)国勢調査結果の小地域集計結果が公表されていた。
http://www.city.osaka.lg.jp/shisei_top/category/1756-4-1-4-0.html
1995年から2005年のデータも公表されているので、それらを簡単に分析・地図化してみた。
1995年から2010年の間の人口増加数
市全体からみれば、環状線の内側および市の北半分での増加が顕著である。この間に、いわゆる人口の「都心回帰」現象を受け、市の人口は6万人ほど増加している。特に西区(堀江などの都心寄り)、福島区、西淀川区、淀川区などで増加している。なかには、都島区善源寺町2丁目や城東区今福西6丁目、此花区島屋6丁目など、3千人以上の増加があった地区もある。これらの人口激増地区は、工場や倉庫等があった大きな土地に大規模マンションが建設された地区であり、2005年時点では人口が0であった此花区島屋6丁目の人口は、2010年には3,164人となっている。
一方で、人口の減少は、東淀川区や生野区、西成区、大正区、住之江区の南港などで顕著である。住之江区南港のうち、ポートタウンの中心をなす南港中2~5丁目の人口は軒並み減少を示し、合わせて7千人ほど減少した。入居開始から30数年が経過し、子供の独立や高齢化の急速な進行が人口減少の原因と考えられる。
5年ごとの人口増加率(1995~2010年)
次の図は、それぞれの期間の人口増加数を期首年次の人口で割った人口増加率を示している。基本的な傾向は、人口増加数の場合とそれほど変わらない。やはり環状線の内側を中心として人口増加が顕著である。興味深いのは、2000年代以降に、それまで人口の減少が著しかった中央区の西部で人口増加に転じた点である。期首年次の人口が少ないため、増加数としてはそれほど多くはないと考えられるが、大阪の中心業務地区(CBD)の中核をなす、淀屋橋から本町にかけての御堂筋沿いでの人口増加は注目に値しよう。古賀(2007)が1990年代後半の京都に関して報告したように、オフィスからマンションへの土地利用の転換が進んでいるのかもしれない。
現在、日本の六大都市(東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)に関して1920年の第1回国勢調査から1990年の国勢調査までの小地域統計のデジタル化も進めているので、それと合わせて、数十年のスパンで変化をみると、都市内部での人口増減の空間的なサイクルなどが見えてくるものと考えられる。少なくとも大阪市には関しては今年度中にデータの整理を終えることができるので、町丁目の変更に注意しながら、今後、分析・地図化を試みたい。
MMMを使うと、異なる2時点間のデータを、一方の時点に集計し直すのが簡単にできる。ちょうど手元に1970年、1980年、1990年、2000年の市区町村別の国勢調査人口のデータがあったので、2010年時点の市町村で集計し直して、今回の速報値といろいろ比較してみた。
MMMのパラメータは、A時点が各年の10月1日、B時点が2010年4月1日(10月1日までに合併等はない)、政令市の扱いは、「政令指定都市を1つの市で出力」、対応表の基準時点はA時点、出力形式は1対1。手順は次のとおり。
1.生成されたCSVをダウンロードして、JISCODE1のコードを使って、VLOOKUPで人口データをもってくる。
2.もってきた人口にWEIGHTを掛ける。
3.ピボットテーブルなどでJISCODE2を基準にWEIGHTを掛けた人口を集計すると完成。
各年について集計し直して、完成したデータを見ると、ちょっと面白い。
1970年から2010年までの40年間に、最も人口が増加したのは横浜市で、145万人(65%)増加。次に増加数が多いのは札幌市で、90万人増加して191万人になっている。増加率で見れば、比較的大きな都市では所沢市、柏市、八王子市、相模原市、町田市などが2~2.5倍程度になっている。今回96万人に達した千葉市は約2倍。
一方で、大きな減少数を示すのは大阪市(-31万人、-10%)、尼崎市(-10万人、-18%)など。室蘭市は6万7千人減少し、2010年の人口は1970年の6割弱になっている。減少数の上位は、このほか呉市、北九州市、小樽市、夕張市、大牟田市、長崎市、函館市など、多くが重厚長大型の産業(造船、製鉄など)を抱える都市であり、これらの衰退とともに人口が大きく減っている。
あまり変化がないのは、特別区部(10万人増加)で、1990年代ごろまでにかけて大きく減少したものの、その後急回復(2000年以降で81万人増加)している。京都市も、1970年の142万人から、148万人、146万人、147万人、147万人で、ほとんど変化なし。2010年の人口に対する、1970年、1980年、1990年、2000年のそれぞれの時点の人口の比が0.95~1.05の地域を取り出すと、人口規模の比較的大きいところで、京都市、東大阪市、岐阜市、いわき市などがある。こういった地域はどんなところなのだろうか。学生が多いとか(京都市や東大阪市)、産業構成のバランスがとれているとか、そういうあたりが特徴なのかもしれない。人口の年齢構成や産業などをしっかり調べれば面白そうだ(時間があればやるかもしれない)。
国勢調査結果の速報値が出たようだ。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/kekkagai.htm
早速、ダウンロードして、MMM for Webを利用して地図化してみた。
大都市を中心に増加が顕著であり、仙台以北の東北地方ではほとんど減少している。また、四国での減少も著しい。基本的には、三大都市圏で顕著な増加が確認でき、特に東京大都市圏が著しい。また、その他の政令指定都市およびその周辺でも人口は増加傾向といえよう。近々政令市への移行が行なわれる熊本市とその周辺も同様の傾向である。ただし、新潟市や静岡市、浜松市では停滞気味となっている。
実数ベースの増減でみれば、区部の人口増加が46万人弱で最も多く、区部としては恐らく過去最高の人口である8,949,447人で、900万人目前となった。大都市では札幌市や福岡市の人口増加が依然として著しく、札幌は190万人を超えた。反対に、北九州市では人口減少が続き、千葉市との差がどんどん縮まっている。
より正確な人口増減の検討には、都市圏単位で見ていく必要があるが、そのためには従業地・通学地集計の公表まで待つ必要がある。
時間のあるときに、1970年からの40年間の市町村別の人口増減について、何か書く予定。MMMを使うと、時系列データの集計が簡単。さらっとデータを見て驚いたのは、札幌市の人口が過去40年で約2倍(100万人から190万人)になっていたり、大阪市の人口が30万人減っていたり、小笠原村の人口が782人から2,783人に激増していたり、といったところ。これも本当は都市圏単位でみるほうがよさそうではあるが。